ページ番号を入力
本文
坂戸山 (山開きに行われる百八灯)
六日町地区のシンボル坂戸山を紹介します。
現在の新潟県南魚沼地域には、古来より上田庄(うえだのしょう)があり、鎌倉時代頃には、清和源氏の流れをくむ新田氏一族の勢力下にあって、当時から坂戸山に城郭が築かれていたと推定されています。
その後、南北朝時代(14世紀)、越後の守護上杉氏の家臣であった長尾氏の一族(上田長尾氏)がこの上田庄に入り、領国支配を始めたと伝えられています。
以後、上田長尾氏は守護代長尾氏と並んで越後の国に重きをなし、坂戸城は越後と関東を結ぶ交通路の抑えとして重要な位置を占めました。
朝もやの山道と石仏
1512年、長尾房長が、本格的に坂戸城を築城しました。
1551年、房長の子、政景は謙信の姉をめとり、謙信に臣従しました。政景は、謙信が関東に出兵した際には、春日山城の留守居役を務めるなど、謙信の重臣でした。
1575年、政景の子、景勝は謙信の養子となり、春日山城に入りました。それ以降、坂戸城は春日山城の有力な支城となりました。
1578年、謙信の急死により、景勝と景虎(北条氏から入った謙信の養子)の家督争い(御館の乱)が始まりました。坂戸城も北条氏に攻められましたが、よく耐え、景勝を勝利に導きました。
1582年、景勝が越中方面で織田信長軍と交戦した際、越後に侵攻した滝川一益が坂戸城を攻めましたが、落とすことはできませんでした。
1598年、景勝の会津国替えにより、堀氏が坂戸城に入城しました。
1610年、堀氏の内紛により、坂戸城は没収され、廃城となりました。
以上が、坂戸城の簡単な紹介ですが、さらに次の点を強調しておきます。
坂戸山は坂戸城のあった場所として、南魚沼市民とりわけ六日町地域の人たちのシンボル的存在です。
急登ではあるものの、登山道の薬師尾根コースは良く整備されており、1時間半程度で登頂できます。
このため、坂戸山登山を日課としている市民も多く、軽装の人が大多数を占めます。
登山靴やザック姿の登山者はむしろ少数派です。
ただし、坂戸山の標高は634mで、麓からの標高差は470mもあり、日陰もないことから、気候によっては装備も必要になります。
鳥坂神社の脇の駐車場がありますが、駐車スペースが少ないため近隣の旧深谷市山の家の駐車場に停めて、薬師尾根コースを登るのが一般的です。
駐車場には常に自動車が置かれており、年中、訪れる人の絶えない山です。
特に、カタクリの群落は壮大で、春には多くの登山者が花を求めてやってきます。
タムシバ
イワウチワ
南魚沼市の花 カタクリ
駐車場
登山道の登りはじめにある「坂戸薬師堂」
薬師尾根コースはゆるやかな坂道から始まり、すぐに整備された階段状の急登となります。
所々で石仏がお見送りしてくれます
6合目
7合目
7合目~8合目の間にある休憩スペース
8合目
9合目
頂上直下、9合目の鉄の階段を登ると山頂です。
山頂には富士権現を祭った社があります。
東京スカイツリーと同じ標高634mです
山頂からは、天気が良ければ苗場山、平標山、谷川岳、中ノ岳、八海山、守門岳など周囲の山々の絶景が楽しめます。
また、間近には金城山と巻機山が聳えています。
八海山
下りは薬師尾根コースだと1時間程度で、駐車場です。
しかし、急な下降で、膝には決して優しいコースとは言えません。
山での事故は下りに多いことを肝に銘じましょう。
天気が良ければ、軽装で、一人でも楽しめるすばらしい山です。
今回は展望のよい「薬師尾根コース」をご紹介しましたが、春のカタクリを楽しみたい方には「城坂コース」がおすすめです。
四季折々の坂戸山の風景を是非お楽しみください。
カタクリ&トレッキングマップ(六日町観光協会) [PDFファイル/9.37MB]
カタクリ(4月中旬~5月初旬)
イカリソウ
雲海
坂戸山山開き「百八灯」
地図で南魚沼の渓流・渓谷・河川公園を表示<外部リンク>
南魚沼市観光協会 電話025-783-3377
【補足事項】
本ページは新潟県南魚沼地域振興局企画振興部が作成しています。
掲載内容については正確を期すよう努めていますが、情報が不足する点もあります。
ご利用の詳細及び最新情報につきましては直接、施設管理者(上記問い合わせ先)へお問い合わせ願います。
更新履歴
掲載日:2013年10月15日
最終更新日:2021年7月8日
PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)