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浦佐駅から徒歩5分の距離にある、上杉謙信公、上杉景勝公、直江兼続公ゆかりのお寺、越後浦佐毘沙門堂、普光寺をご紹介します。
浦佐駅近くにある越後浦佐毘沙門堂。
浦佐毘沙門堂の歴史は古く、大同二年(807年)に平城帝の御代、坂上田村麻呂将軍が東国平定の際に建立したと言われています。
日光の陽明門を形どっている荘厳な山門は、天井に江戸下期を代表する絵師谷文晁師の「八方ニラミの龍」双龍図板絵があり、山門ニ階には、毘沙門天二十八使者像と江戸幕府御用絵師板谷桂舟筆によるものと言われる極彩色豊かな二十四面の天井画天女の舞絵姿、釈迦出山の図、十六羅漢図があります。
普光寺本堂は延宝八年(1680年)に建立され、毘沙門堂とは回廊でつながっており、江戸時代には六つの塔頭(たっちゅう)があったほどの大きな伽藍でした。
本尊は大日如来、庫裡の一角の寺宝館には、鎌倉時代より伝わる古文書など寺宝が展示されています。
絵師谷文晁師の「八方ニラミの龍」双龍図板絵
毘沙門天二十八使者像
国の重要無形民俗文化財である裸押合大祭の始まりは、今から千二百年前に遡ります。
坂上田村麻呂将軍が自身の守本尊「毘沙門天」を祭った御堂を浦佐の地に建てて「国家安穏」「五穀豊穣」「家内安全」を村人とともに祈り、そして祝宴の中で歌い踊って士気を鼓舞したことが始まりと言われています。
かつては年一回初詣の正月三日に行われており、多くの信者がほかの人より早く参拝しようともみ合い押合うその熱さと、年頭にその年の除災招福を願う心から、水行(すいぎょう)をして参拝することがまじりあって、次第に裸になる人が多くなり、全員裸で御本尊に額づくようになったことが、今の裸押合大祭に受け継がれてきているそうです。
不動明王像
山門をくぐり、大ローソクに囲まれた長廊下(回廊)をまっすぐ進むと、迫力満点の大きな「不動明王」と「うがい鉢」があります。
この不動明王は石像仏としては日本最大と言われており、明治初年に南魚沼市旧六日町の石工によって作られたそうです。
うがい鉢は大崎の坊谷山(ぼたんやま)産出の大石をくりぬいて作られています。
地図で南魚沼の南魚沼の歴史・文化・名所を表示<外部リンク>
普光寺 電話025-777-2001
越後浦佐 普光寺 公式ホームページ<外部リンク>
【補足事項】
本ページは新潟県南魚沼地域振興局企画振興部が作成しています。
掲載内容については正確を期すよう努めていますが、情報が不足する点もあります。
ご利用の詳細及び最新情報につきましては直接、施設管理者(上記問い合わせ先)へお問い合わせ願います。
更新履歴
掲載日:2014年6月17日
最終更新日:2021年7月20日